2013年



ーー−3/5−ーー 上には上がいる


 
 スキージャンプ競技の高梨沙羅選手が、ワールドカップの個人総合優勝を成し遂げた。まさに驚きの活躍ぶりだが、彼女を小さい頃から指導していた関係者は、「シンデレラ・ストーリーのように言われがちですが、実は本人のたいへんな努力があったのです」とインタビューに応えていた。確かにそうだろう。たいへんな努力無しで、このような成果が得られるとは思わない。しかし私は、高梨選手の持って生まれた才能が、大きな部分を占めていると想像する。

 選手が類まれな才能を持っていても、それは努力をすることの陰に隠れているべき事、あまり大っぴらに言うべきでは無い事のように思われがちである。才能が有っても、努力をしなければモノにならないなどという主張も、一般的である。しかし、アスリートの頂点に立とうとするならば、際立った才能が無ければ難しい。それは、当事者が一番良く知っているはずだ。才能というものは、生まれつきのものであるから、そこに注目することは不公平感を招くという見方もあるだろう。しかし、才能も個性の一部でしかない。才能をことさら隠そうとする姿勢は、個性を認めようとしない風潮に通じるものがあるように思う。

 以前、小中学生の卓球の指導に関わった時期があった。全国大会の場に行くと、驚くべき才能の子供たちがいた。ボールを扱う感覚が、際立っているのである。普通の子なら一年間かけても出来ないプレーを、そういう子は二週間くらいでマスターする。そういう子供と対戦すれば、残念ながら普通の子供は全く歯が立たない。才能の差が歴然なのである。

 ところで、そのような逸材どうしの試合を見ると、特に際立ったものを感じないこともある。同じレベルの者が競い合うと、それが非常に高いレベルであっても、その内容の凄さを的確に理解するのは難しい。音楽の演奏もそうであるが、スポーツ競技でも、際立って優れたプレーというものは、あまりに無理なく自然に演じられるので、素人目には大した事のようには見えないのである。才能の違い、能力の違いは、一般レベルと比べて初めて気がついたりする。
 
 ちょっと突飛なケースだが、会社員時代、インドネシアのプラント建設現場で、一流選手のプレーに接したことがある。休日にソフトボールの試合をしたときのこと。メンバーの中に、甲子園経験者の若者がいた。その男が、凄いのである。打席に立てば、全てホームラン。しかも飛距離が大きすぎて、ボールがグランド(空き地)の境を飛び越えて、ジャングルの茂みの中に入ってしまう。守備をすれば、ショートを守っていたが、とにかく動きが速い。目にも止まらぬ動作でゴロをさばき、一塁へ投げる。その球速が早すぎて、一塁手が捕球できないくらいだった。さすがは元高校球児だと、感心したものであった。

 同じ現場に、バレーボールの選手もいた。実業団で名の知れたチームのレギュラーだったとかで、全日本のメンバーに近いところまで行ったそうである。この人は、ボールセンスが抜群だった。得意分野はバレーだが、何をやらせても上手い。ソフトボールの試合でも、大活躍だった。身のこなしが、一般人と全く違うのである。これも間違いなく、生まれつきの才能であろう。

 一流選手で思い出した。私が住んでいる同じ郡内に、中国から帰化した卓球選手がいた。その人は、中国の大学選手権のトップクラスだったそうである。長野県内では、向かうところ敵無しであった。その当時、毎年の県大会でチャンピオンになっていた。その県大会も、準々決勝くらいになって初めて登場する。大会も押し迫った昼過ぎになって姿を現し、他の選手の試合を観ることもなく、会場の隅で柔軟体操などを始める。そしていざ試合となれば、決勝戦でも完全に一方的なゲーム運びだった。もうやりたい放題、大人と子供の試合の様相を呈していた。

 ダブルスの試合でも凄かった。ダブルスはサービスのエリヤが限られているので、小さいサービスを出すのがセオリーである。大きいサービスだと、いきなり攻撃を食らうからである。しかしこの選手は、相手がどんなに小さいサービスを出しても、全て打ち込んでしまう。しかも思い通りのコースに狙いすまして打つから、相手はボールに触れることも出来ない。さらに自分のサービスは、一時期「世界最強の魔球サーブ」とまで言われたもの。相手は返球すらできない。パートナーはする事が無いくらいに見えた。ちなみにこの魔球サーブ。中高生の卓球指導に来た時に、生徒たちを相手に披露したことがあったが、ほとんどの生徒はボールの変化に対応できず、ラケットに当てることもできなかった。

 この選手について、元一流選手、実業団の全国大会で銀メダルを取ったことのある、少年卓球の指導者はこう言ったことがあった、「これほど思い通りにプレーができたら、もはや面白くないんじゃないか、卓球が」

 この元中国人選手が、長野県代表として全国大会に出たときに、その試合を観たことがある。会場は名古屋のレインボーホール(当時)。卓球の全国大会を生で観たのはこれ一度だけだが、トップクラスの選手のプレーに触れて、なかなか面白かった。そこに、例の選手もいた。はたしてその試合っぷりはどうだったか。

 シード選手(前回大会で16位以内)だったから、たいしたものであるが、試合内容は予想とだいぶ違っていた。県大会での、あの余裕たっぷりなプレーは影をひそめていた。逆に、ギリギリでおっかなびっくりという感じのプレーに終始した。いつもの超人的な活躍を期待していた私にとって、「あれっ?」という印象だった。結局、ベスト8が決まる試合で負けてしまった。その成績でも十分に立派であり、県代表の中では突出したものだった。しかし私には、その選手がなんだかいつになく小さく見えた。

 県レベルでは突出した選手でも、全国の上位を相手にすると苦戦する。やはり上には上がいるのである。
 



ーーー3/12−−− ボランティアの苦言


 長野オリンピック、パラリンピックのボランティアに参加したことは、以前に何度か触れた。今ではちょっと考えられない事である。その当時は、まだ若かったし、色々なことに興味があった。世の中の景気も良く、ゆとりがあったのだと思う。現在の私なら、そのようなことに身を投じるつもりはない。余裕もないし、その気も無い。

 オリンピック・ボランティアの登録は、本番の一年以上前だった。それから何度も研修があった。研修は、回を重ねるうちに、配属先の専門的な内容になっていったが、最初のうちは総論的なものだった。「ボランティアとは」というような内容だった。

 その中で、ボランティア協会の研究員という肩書きの人の講演があった。自らが英国へ研修に行ったときの体験が話題に上った。数日間の滞在の間、親身になって面倒を見てくれた現地のボランティア協会の紳士がいたそうである。その人が、最後の別れ際になって、神妙な顔をして質問をしたというのである。その内容は「日本は市民革命を経ないで近代化したと聞いてますが、そのような国でボランティア活動ができるものなのでしょうか?」

 日本の研究員はそれを聞いて、ギョッとしたという。そして、何と返事をしたらよいか、言葉が見つからなかったそうである。

 私はこのエピソードが好きで(好きというのも変だが)、気心が知れた人にはよく喋ったものである。私としては、「うーむ、なるほど。ボランティアの先進国では、我々が思いもしないような事に疑問を持つのだなぁ」というような反応を期待するわけだ。しかし、意外に反駁する人が多かった。いや、ほとんどの人が、不快感を露わにした。

 「先進国面をして、日本を馬鹿にしている」、「もはや変えることが出来ない歴史的事実を根拠に決めつけるのは、相手を徹底的に貶めるやり方だ」などと言って、その英国人の発言を非難した。国粋主義者ならいざ知らず、リベラルな考え方をする人たちの口から、そのような言葉が異口同音のようにして飛び出したので、私は少々面食らったものだった。

 かの英国人の発言は、ボランティア活動と民主主義は表裏一体のものであり、民主主義の歴史が浅い国では、ボランティア活動は難しいのではないか、という趣旨だと思われる。素朴な疑問が口から出ただけであり、別に日本人を馬鹿にしているわけではないだろう。

 俳句に親しみたいとする外国人に対して、「小さい頃から日本語を使っていない人に、俳句は作れないんじゃないですか?」と言いたくなる日本人は多いと思う。それは相手を馬鹿にしているわけではない。単純素朴な疑問である。むしろそう言いながらも、外国人が日本の文化に関わろうとしていることに対して、好感を覚えることもあるだろう。

 現在の我が国は、制度としては民主国家だが、はたして民主主義の精神が社会の基盤として機能しているかどうかは、まだまだと感じる部分も多いと思う。それが、市民革命を経ていない国家の宿命なのか、それとも別の原因によるものかは、分からない。しかし、民主主義を実現するために、多くの犠牲を払った国々にしてみれば、そう簡単に手に入るものではないと考えても、不思議は無いだろう。

 その英国人は、視察に来た日本サイドの研究者に対して、終始暖かく接し、協力を惜しまなかったそうである。そういう人が、悪意的な動機で発言をするはずは無かろう。ただ、ボランティア活動に対する思いが強かったのは、想像に難くない。

 こちらも、「馬鹿にされた」などと腹を立てるのではなく、以下のように考えれば良いのではないか、

 「たしかに我が国は、歴史的に見れば、封建社会から近代化するにあたり、市民革命を経験していない。しかし日本国民は、人類共通の理想である民主主義の実現を願い、世界の平和に貢献しようと決意した。ボランティア活動も、そのための有効な手段と考える。これからもお互いに協力し合い、国家の壁、歴史、文化の違い乗り越えて、理想の実現に努力しようではないか」

 ところで、長野五輪のボランティア。残念ながら、民主主義の母体を感じさせるようなものではなかった。その顛末に関しては、当時、「長野オリンピックボランティアの光と影」と題するドキュメントをまとめたが、十数ページのボリュームなので、ここに載せる余裕は無い。





ーーー3/19−−− 英国ホテルでの恥ずかしい出来事


 ホテルに泊まり、朝目が覚めた時に、喉が痛くなっていた経験を持つ人は多いだろう。部屋の中が乾燥しているので、寝ている間に喉をやられてしまうのだ。それを防ぐために、バスタブに湯を張り、バスルームのドアを開けておくのは、出張などでホテル慣れした人の常套手段である。しかし私はこの方法で、手痛い経験をしたことがある。

 会社勤めをしていた頃、出張でイギリスのマンチェスターに滞在したことがある。宿泊はホテルだったが、ビジネスホテルのようなビルディングではなく、洋風旅籠といった風情の館だった。

 滞在している間、一週間ごとにカウンターで伝票のような紙を見せられた。それまでの一週間分の宿泊費の確認をするためだった。ある時、その伝票の中に「flooding」という単語を発見した。その単語が記された日は、宿泊費が二倍になっていた。私は、「これはいったいどういう事だ」と、カウンターの女性に問いただした。それに対する返事は、背筋が冷たくなるようなものだった。

 女性は言った、「この日の夜、あなたが泊まった部屋の真下のお客様から、天井から水が垂れているとクレームがありました。私たちは、あなたの部屋から水が漏れていると思い、あなたの部屋のドアを叩きました。しかし、何度やってもあなたの反応はありませんでした。仕方なく、マスターキーを使ってドアを開けました。部屋に入ると、思った通り、バスタブから水があふれて、バスルームが水浸しになっていました。一方あなたは、ベッドの上で前後不覚に酔って寝ていました。事態を認識してもらおうと、声をかけましたが、あなたは起きませんでした。階下のお客様は、別の部屋に移ってもらいました。それで、二部屋分のご請求となっています」

 私は、顔から火が出るような恥ずかしさに襲われた。そしてかろうじて「もしそれが真実なら、たいへん申し訳なく思います。しかし、私には全く記憶が無いのです」と言った。女性はニコッとして、「それはそうでしょう、あなたはベロベロに酔ってましたから」と答えた。

 事が起きた日の晩は、一緒に出張していた同僚たちと夕食を取った。いつも通り酒も飲んだが、その晩は飲み過ぎたようである。出張先の外国で、正体を無くすほど酔うのは良くない事である。何故それほど酔うまで過ごしたのか、今となっては分からない。ホテルに戻ったのは覚えている。そして部屋に入り、バスタブの水栓を開けた。部屋の乾燥を防ぐためで、毎晩そのようにしていた。酔っていても、そういう事には気が付くものである。そして水栓を開けたまま、ベッドに向かい、寝てしまったようである。

 その晩の顛末を想像すると、階下の客も、ホテルの従業員も、まことに不愉快な思いをしたことだろう。しかし、ホテル側の説明は実に冷静で、私を責めるようなそぶりは見せなかった。終始淡々とした態度で、それが私にとってぎりぎりの救いだった。そして驚いたことには、最終的にチェックアウトをした時に、この追加の一部屋分は加算されていなかった。何故かは分からない。こんな客でも、寂しい気持ちで去らせてはいけないという、英国のサービス業のプライドだったのか。




ーーー3/26−−− 還暦


 今日3月26日は、私の誕生日である。60歳になった。 還暦と言っても、特にめでたいという実感も無い。しかし、もう一度還暦を迎える可能性はまずゼロだから、素直に有り難く受け止めよう。

 子供のころ、60歳の大人を見れば、完全な年寄りという印象だった。ところが自分がその年齢になってみると、深刻な老いの深さなど感じない。もっともそれは当人だけの事であって、他人から見れば完全な年寄りかも知れないが。

 父がバリバリのサラリーマンだった頃は、企業の定年は55歳だった。その当時の60歳は、隠居生活に入って既に5年経つということになる。年寄りと見られても当然だったと言えようか。

 私が生まれた1953年当時の日本人男性の平均寿命は62歳くらいだった。それが今では80歳まで上昇した。こうなると、人生の節目、あるいは到達目標としての還暦も、重みが薄れているような気もする。

 とは言え、やはり自らが生きてきた年月を思い返すと、厳粛な気持ちになる。

 今朝、新聞を取りに外へ出た。雲の切れ間から、真っ白な北アルプスの峰が見えた。深呼吸をして、胸いっぱいに空気を吸い込んだら、生きているという実感があった。健康な体でこの日を迎えられた幸せを、感謝したい。







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